(この記事は2024年6月18日に執筆したものを掲載している)

近日において、より意味のあるインプットとアウトプットをしたいという気持ちが高まっている。ここにおける「意味のある」という概念は非常に曖昧であるが、量で消費されるコンテンツではなく質で消費されるコンテンツ、単純な快楽を呼ぶものではなく精神的に何かが得られるもの、ということにしておく。

私は前頭前野の活動が非常に弱いため(かは分からないが)、気を抜いてしまうとすぐに単調な娯楽の渦に飲み込まれてしまう節がある。これは比較的昔からの傾向であり、私は小学生の時からゲーム、ポルノ、アニメ、漫画、刺激的な食品、音楽などに溺れて暮らしてきた。直近では「ピッコマ」や「LINEマンガ」などの縦読み漫画に大量に課金して永遠と似たようなファンタジー漫画をベッドの上で読み続けるという悪習慣に悩まされている。

上記のものが全て悪いわけではないが、これらのものは「精神的なもの」という高貴な活動ではなく、消費者の欲を刺激して大量生産大量消費の経済的活動に繋げる罠の一種だと考えている。

現代においても世の中の良質なアーティストは何かしら自分や社会というものと向き合ってより良いコンテンツを作成している。資本主義的に生産されたコンテンツより、そうした優れたアーティストの生産物に向き合って生活していきたいという気持ちで最近は読書や消費をしている。無論、どんな優れたアーティストも資本主義的でないという訳ではなく、ある程度において商業的な側面を持つことは承知している。

最近は楽器演奏に行き詰まりを感じて、上達やトレーニングに関する本、そして息抜きにいくつかの漫画を読んだ。この3日間は、なかなか楽器の練習に対して意欲が湧かなかったのでこうして消費に精を出していた。

私は常日頃からよく「社会」という言葉を引き合いに出して使うが、改めて「社会」という概念は存在しているようで存在していないような気もしてくる。こうしたことについて考え始めると鬱屈とした気分により拍車がかかりがちなので、とりあえず思考停止して、こうしてメモに意識だけ残すようにしている。あまり実りのない行動であるが、140字未満のツイートとしてインターネットの藻屑に消えるよりかは意義がある、と自分に言い聞かせている。