(この記事は2025年8月9日に書いたものを再構築して執筆している)

現在、三連休に差し掛かる土曜日。東陽町のgoodcoffeeというカフェで、冷房の効いた部屋の中で暖かいカフェラテを飲みながら(とっくに飲み終わっているのにカフェに居座り続けて)このブログを書いている。

飲み物を注文する際、カフェラテとカフェオレとカフェモカがメニューにあり、それらの違いが分からず思考が停止した。調べるたびに納得するのだが、しばらくすると忘れてしまうものの一つだ。

今週はとある試みに挑戦しているので、それについて、記憶が遠くならないうちに結果をまとめていきたいと思う。

その試みとはつまり、「平日に珈琲を飲むのをやめる(カフェインの摂取を控える)」というものである。私は元々カフェインへの感度が高く、元々珈琲を飲むとすぐに動悸が起きたり、落ち着きがなくなってトイレに何度も行ったり、テンションが高くなりすぎて躁的な挙動をしてしまうような人間であった。中学時代は1日に2杯は確実に飲んでいた珈琲のせいで自律神経が狂い(必ずしも珈琲にすべての責任を押し付けることはできないが)不眠になったこともある。そのため高校時代からカフェインを制限し始めていたのだが、作業の馬力が出たり、世界が美しく見えるようになるという効果を求めて定期的に摂取しては副作用に苦しんだ。

大学に入学してからもカフェインに振り回されることが続き、過剰に緊張することから様々なトラブルを引き起こしていた。ただ、社会人になり、毎日珈琲を2杯ほど飲む生活になってきてから、だんだんと耐性がついてきたようで、このジェットコースターのような効果も薄まっていた。しかし必ずしもいい方向に薄まっていたわけではなく、自律神経がやんわりと疲弊しているのを感じたため、この試みを始めることにした。

仕事中に珈琲を飲むと作業に集中できる。ただ、家に帰った後に疲れて何もできずにベッドでスマホを眺めてしまう。土日もなんとなく疲れ果ててしまい、ベッドで寝転がってしまう。これは精神的生活を心がける者として、非常に良くない。

なにせ、そもそも僕は平日の日中の仕事に情熱が全くない。新卒でこんな有様では困ってしまう訳ではあるが、無いものは無いのでどうしようもないのだ。どんなに責任があっても、規模が大きくても、自分の与えられる影響があっても、この職場の仕事に情熱を持てる気がしない。同僚や上司が悪いとかそういう話ではない。シンプルに自分の人格と賃金労働の相性が悪いのだ。

それゆえに、僕は平日に集中することをやめた。平日に珈琲を飲まなければいいのだ。集中しなければいい。過敏にならなければいい。緊張もする必要はないのだ。そして、週末になれば珈琲を飲んで集中してクリエイティブな仕事(本当の意味での、僕にとってのライフワークとしての仕事)をすればいい。

こうした結論から、僕は今週の平日において珈琲やその他のカフェインを含有するものを一切摂取しなかった。その効果は悪い意味で凄まじかった。ただ単に平日に集中をしないだけ、というつもりが、毎日珈琲を2杯飲む生活から急にカフェインを排斥したことによる脳からの抗議、離脱症状が想像していたよりはるかに大きかった。

集中できないどころの話ではない。頭は常に靄がかかっているようだった。頭痛がするし、人の話も一切頭に入ってこない。特に最初の3日間は地獄のようで、トイレの個室で一息つこうとすれば軽く吐き気も湧き上がってくる。食欲が抑えられないといった作用もあった。

この実験を通して自分の脳というものがいかにカフェインありきで駆動しているのかということに気がついた。そして、同時に胸が高鳴った。この依存状態から抜け出して、土日にのみクリエイティブな活動に没入することができたら、どんなに最高だろうかと。

以上のような背景で、土曜日の午前中は背景を記入した後、ひたすらMacBookで作業を行った。Stable Diffusionの機能を最大限利用するための環境のセットアップと、AWSのクラウドプラクティショナーという資格の勉強、村上春樹のエッセイとイーロン・マスクの伝記を読み進め、AWS LightsailをいじってはこのブログをHTTPSに対応させるなどの作業を行った。実際に集中できた時間は3時間ほどだろう。現在、夕方になり一日の終わりも見えてき始めているが、午後はあまり集中せず、うどんを食べて自宅へ帰り、音楽を聴きながらネットサーフィンなどをして脳を休めた(ネットサーフィンで脳が休まるかどうかには、諸説がある)。

17時を過ぎ、また作業に取り掛かかった。僕は自分の気質を踏まえて、仕事を整理する時間と、タスクをただひたすらに片付ける時間というものを区分けしないとうまく仕事を片付けていくことができない。今日は様々なタスクを並行して整理しながら作業を行ってしまったせいで、頭が十分にパンクしてしまいこれ以上作業を行うことができなさそうだ。

また、やはりカフェインを摂取すると神経伝達物質の皺寄せによって夕方以降のメンタルヘルスが悪化する傾向がある。

ただ、とても嬉しいことに、ぼんやりした頭で平日に行う無意味な作業よりも、圧倒的に自分にとって価値のある取り組みに集中することができた。実際に集中したのは3時間ほどと前述したが、これはとても素晴らしいものであるという評価を下したい。没頭とは素晴らしいものであると、最近はしみじみ思う。没頭論についてはのちに記事にしたい。

2025.09.14 追記

平日にカフェインを摂取せずに土日のクリエイティブワークのために温存するというこの取り組みは、現在も続いている。離脱症状については概ね収まった。土日も多少は夕方のメンタルが悪化するが、かなり作業に集中することができる。今のところ、この取り組みはかなり有益だと判断できる。