(この記事は2025年8月9日に書いたものを再構築して執筆している)

没頭が自分の人生において重要であると、再確認している。

音楽でもコンピュータでも読書でも、僕は没頭することによって自分を消すことができるから幸せで、それが好きなのだ。自我が肥大しすぎて、世の中に溢れるその他の一般的な娯楽では自分を消すことができない。生きている中で楽しみを誰かと共有することはかなり難しい。表面的な快楽を感じることはあったとしても、本当の喜びのようなものを僕は没頭の中にしか見出すことができていないような気がする。獣としての喜びは没頭以外にも生活の中にある程度あるのだけれど、人間としての喜びはかなり少量で、かつ他人と共有しづらい。

没頭は素晴らしいものである訳だが、なかなかこれも実践することが難しい。没頭するためには、その没頭する先の価値を信じることが必要である。これが没頭という行為を難しくする理由だ。僕は僕の価値判断しか信じることができず、それによって老化とともにコンテンツの消費に没頭することができなくなってしまった。消費という行為は、生活を通して僕の価値観の中でかなりその順位を下げられてしまった。僕の中で没頭に値する、その価値を有するものは、基本的に創作とコミュニケーションだと思う(この二つには重なる部分もある)。コンピュータはその中でも例外的なように感じるが、僕はコンピュータへ行為して、フィードバックをもとに循環するという、そういうコミュニケーションのようなものを行っているのだ。

創作者にとって、あるいは芸術家にとって創作という行為や創作物への向き合い方というのは当然に人それぞれだと思うのだけれど、一貫しているものというのは、創作において当然「良いもの」が作りたいということだ。「良いもの」を作ったら、後になってそれを自分で楽しむことができるし、他者とそれらを共有することができる。しかし、僕にはその成果物そのものよりも、「良いもの」を作ろうとするその取り組み、没頭することに価値があると思えて仕方がない。

つまり、僕は価値がある(良い)と心の底から思えるものを生み出したいと思っているようでいて、その行為に没頭したいという欲求が先行している節がある。これは一定の真理を含んでいて、同時に不純でもある。人生を通して取り組み成果を出すべきこと、その何らかのものからの逃避という側面を持つからである。この問題については保留する。

最近はひたすらに、果てしなく面白いと思って没頭できることがしたい。誰かに与えられたタスクでも別に構わない。本当に面白いのであれば。ただ、現時点で僕は自分の職業であるシステムエンジニアと総合職の中間のようなよくわからない職種の下っ端という立場では、何にも没頭することができない。データをインプットして変形させてアウトプットさせる、そんなことの繰り返しのような作業の中で、その単純さに苛立ちを覚える(しかし困ったことに、僕の処理能力ではそれすらも満足に行えないことがあるわけだが)。そもそも人間はざっくり考えるとデータをインプットして変形させてアウトプットさせるブラックボックスでしかないのだが(これについては哲学科の友人に「単純化しすぎである」と否定されたが、いまだに腹落ちしていない。僕は基本的に他者の意見をかなり受け入れることができない)、あまりにもその作業が単調すぎると、自分がブラックボックスではなくホワイトボックスになってしまったことを強く感じてしまって、嫌気が差してくるのだ。

大学生の時に読んだオードリー若林のエッセイの中で「没頭こそが憂鬱を消す、最善策である」のようなことが書いてあった。当時の僕はそれを軽い気持ちで読み飛ばしたわけだけれど、今になって考えてみるとその言説はかなり的を射ていると思う。

ふと思ったのは、40年を超えるサラリーマン生活をそろそろ引退しようとしている父親は、引退した後に没頭するものがあるのかということだ。前々から、父親に何か新しい趣味があればいいと思っていたのだが、自分にとって没頭という概念がこんなにも大切であるということに気がついてから、それを両親にも与えたくなった。母親は趣味がいくつかあり、自分で解決できるのではないかと思うのだが、仕事一筋だった父親が必ずしも自分でその没頭の道へ進めるとは未だ思えない。

両親は引退後に夫婦で旅行をする計画の話などを頻繁にしているが、僕にとってはそれが本当に両親にとって魅力的に映っているのかが分からない。父親も言われるがままに旅行をしようとしているようではあるが、本当に父親が旅行というものを楽しむことができる人間なのか、僕には分からない(というより、違うと思っている)。少なくとも僕は旅行を100%に楽しめる人間ではないため、その性質の源流であることを考慮した上で。

書道でもいい、写真でもいい、父親がずっと続けているランニングが転じたフルマラソンなどへの挑戦でもいい。何かしら、親が没頭できることが見つかればいいなと思った。

そして僕も、自分の価値と没頭を探索していく必要がある。

読んでくれてありがとう。